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日本の美意識


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実は、人間中心主義の考え方そのものが思い上がりであり不遜なのである。この世の中には人間だけでなく、動植物などの生命体と水や空気や鉱物などの非生命体が存在している。人間以外を自然とか環境とかひとくくりにして、自然保護とか環境保護とかを唱えているが、その言葉自体がおこがましいのである。

 まず、自然の有するエネルギーがしょせん人間には計り知れない規模であることに畏怖の気持ちを抱き、自然と共に生かされているという感謝の気持ちで行動する原点に戻らなければならない。人間が物質的豊かさの虜になり、自然を制圧し都合良く自然をデフォルメするために英知を駆使するようになって以来、自然のバランスは破壊された。天然記念物はそれなりに大事にするが、そこいらに咲く草木は切ってもいいという発想は間違いである。むしろ、どこにでもある種ほど、エコロジーのサイクルのなかで役割を担っているとも言えよう。

 不可逆過程の行き着く先は命なき世界であることを認識するならば、経済社会活動にいかにエコロジカルな意味での可逆過程を組み入れていくかにこそ、最大の英知が注がれなくてはならない。国内的には、国民意識の啓発上からも環境税の導入が検討されるべきであり、地球的には南北間の調和が図られなければならない。地軸が南北両軸を結んでいる以上、東西問題は人為的、刹那的であり、南北問題は自然的、永久的である。したがって南北間の対立は今後さらに熱を帯びてくるが、この解決にあたっては南が経済的に北に追随する速度以上に、北が環境において南を支えていくことが不可欠となる。人間と自然との共生は、また南北間の共生でもある。

・美の国・日本を復興したい

 私がゴルフをあまり好まないせいかもしれないが、機上から眺め下ろしていくつものゴルフコースが視界に入るとき、バブルの爪で国土が抉り取られてしまったような誠に悲しい心持ちになる。……別にゴルフに恨みがあるのではなく。象徴的に目に入るので申し上げたのだが、国土が経済活動の食い物になってしまった顕著な実例である。もっと遡って考えれば、戦後日本の経済成長が歴史的に日本人が最も大切にしてきたもの、すなわち美徳を奪ってしまったのではないかと感ずるのである。

 私は、日本の政治が、そして日本人が呼び戻さなければならない最大の価値は「美」だと信じている。友愛の提唱者でもあるクーデンホーフ・カレルギー伯は、日本を美の国と呼んだ。彼の著『美の国』には次のようなことが記されている。

 古代ギリシャ・ローマ時代の道徳は美を基盤としていた。そして神学に基盤を有する「善と悪」の対立の代わりに、美学を基盤とする「気高さと卑俗」という対比が生まれた。プラトンは倫理的な価値と美学的な価値を一致させていった。一方で、孔子の儒教は理の原理を基盤としており、それは調和、換言すれば美を基盤としていることになる。孔子の理想も気品の高い人間にあった。ところがヨーロッパでは、キリスト教の布教とともに宗教的、神学的倫理観が勝るようになり、中国では共産党の思想が儒教を破った。結果として、日本が儒教に基づく美的倫理観を有する唯一の大国となったのである。

 日本をほとんど書物のみで理解されたクーデンホーフ伯のことゆえ、やや美化されすぎているきらいもあるが、日本には少なくともかつて武士道に見られるように、「美」を尊ぶ精神が強く存在していたことは事実である。

 第2次世界大戦に勝利した米国が日本の武士道精神の復活を恐れたこと、そして敗戦後の日本を急速に立ち直らせるために導入された欧米型経済合理主義が実に見事に機能したことにより、経済的価値が美的価値を浸食し、「美」に対する倫理観が日本社会から消失してしまったのではないかと考える。経済合理性から外れた価値が捨象され形骸化してしまったことが、日本の今日的不幸ではないかと想像する。

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誰の言葉と思いきや、鳩山由紀夫氏の言葉だったりする。

The Journalより


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