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マスコミ批判と認識・思考方法との関連

人は生まれたときにすでに洗脳の危険にさらされている。両親、家族、社会、国家、教育etc. そういう洗脳を受けていく中で、自分自身のことも忘れてしまい、本当でないことを本当のことだと勘違いして生きていくことになる。

今の自分の立場というのは、その積み重ねの上にあるわけで、それは地球上に生きる全ての人がその上に少なからず生きていると想像できる。自分は他の人の思い込みについて気づいていることもあるし、その逆に他の人が自分の思い込みに気づいていることもある。

だから、いつも自分にこう問いかけることが必要になる。「私は他人が間違っていると思い込んでいるけれども、本当は私の方が間違っていることもあるのではないか?」と。人の視点に立ってみるという基本的なことを通して、自分と相手を相対化して捉えてみることも出来るだろう。

ある物事を、ある視点から見れば普通のことだけれども、別の視点から見るとおかしなことだったり異常なことだと認識される。つまり物事は脈絡の中に関連付けられることによって意味が決定される。その脈絡を決定しているのは人間の基本的な認識や思考方法にある。

例えば記者クラブに関して言えば、実際に内部の記者はそれを問題だとも思っていないし、ないと困ってしまうものだという認識がある。対して記者クラブ外で記者クラブが引き起こす問題について知識があれば問題だと思っている。そういう構図があることをまず認識していないといけないと思う。

だから、記者クラブ外の人が記者クラブを痛烈に批判すると記者クラブ内の人物はどう思うだろうか?ある程度問題を感じていたとしても、骨髄反射のように反応するのではないだろうか?

私はノンミートイーターなのだけれども、その理由の一つとして肉食が世界の飢餓や環境破壊の大きな原因になっていることがある。もし今の世界で飢餓で苦しむ人がいて、その人が飢餓の原因に肉食があると理解したとしよう。そしてその人が肉食をたしなむ人に対して「肉食をやめろ」といったとしたら?

今、世界の人の多くは肉を食べているけれども、肉食そのものを利権だとは思っていない。でも飢餓に苦しむ人がいて飢餓の原因という脈略で理解したら、「肉食は利権」だともいえる。でも、「肉食は利権だ」といっても、肉食をする人からみれば「うるさい!」と思い、自分たちが悪いとは思わない。

世界にはこのようなことは五万とあるだろう。私はそのうちの全てをもちろん知らないけれども、そういうことが連なって問題が起こされていることは想像できる。

記者クラブに関しては問題があると思うけれど、「記者クラブが全面的に悪い」と辛らつに批判することは、肉食の人に対して「肉食が全面的に悪い」、と挑みかかるのと同じ構造なのだ。

その構造を理解せずにマスコミ批判ばかりをしている人が多すぎると思う。。。
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1 ■無題

 自分の立ち位置次第で、観方・考え方が変わりますね。個人の価値観という言葉で片付けられてしまいそうですが、対自する存在の観方・考え方に触れずに大人になってしまうと、我欲・独善に走る社会が生まれます。
 人の生き方を、どこまで肯定・否定できるか分かりません。しかし全てが一色に染まらぬ事だけでも知る事は大事です。

2 ■おっしゃるとおりですね

真理や正義、
これはひとつであるのか、二つ以上あるのか、
自分の都合で究極はきめることになるのでしょうから、
少なくとも絶対にということはないですね。

絶対があるというなら、人間以上の何かを持ってくる必要が生じます、

人は、でも正義や真理にこだわらなくなっては、
人間であることを
辞退するときだとも思います。

3 ■Re:無題

>おいらは、ちびのり。斉天大聖!さん
ある主張を持つ人というのは、反対の主張を持つ人を最初から否定してかかることが少なくないです。
最初の一言が相手の主張の否定ですから、当然相手は脊髄反射おこすわけです。世界にはこういうことで溢れかえっているように思うんですよ。

4 ■Re:おっしゃるとおりですね

>ktnpoさん
自分が正しい、相手が間違っているといったところで、視点が違えば正しいことと間違っていることはころころ入れ替わるところがあります。

正義とか理想とかを持たないことではなくて、世界はそういう関係性で成り立っているということです。
例えば、自分の足が誰かに踏んづけられているとします。そして自分の足を踏んづけている人ももう一方の足を誰か別の人に踏んづけられています。そして、その関係が多くの人を通してずっと続いて、最後にその踏んづけている足は自分のもう一方の足だったと、そういう関係です。

今の個人主義が行き届きすぎた世界では解らないような考え方かもしれません。でも人間はそういう関係性の中に生きています。
自分の周りとの関係性が変わることで、その関係性全般が変わります。仏教的にはこのことは「因縁生起(いんねんしょうき)」というような言葉で表されているものです。
このことは、うまいことまとめて説明できればいいのですが。。。
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