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事業仕分けとは、政治主導で予算編成に切り込むための大義名分を作る作業である

田中良紹氏の論考はいつも非常に納得させられる。

事業仕分けが今行われているわけなのだが、私は見ていてこれは完全なパフォーマンスだな、と思っていた。

そして、民主党はなぜこんなことをするのだろうと思っていたら、田中氏がThe Journalにて非常に面白い記事を書かれていて、「ああ、そういうことか」と納得させられた。

国民の多くは無駄がある、といわれても実際にそのことを目の当たりにすることはない。だから官僚の言う予算には多くの無駄があるということを大々的に国民に知らせるために、このようなパフォーマンスを行ったのだ。

このことにより予算に対する国民の関心は高まって、官僚利権というものにメスが入れやすくなった、そして予算編成も前に進めやすくなったという効果を作り出したのだ、と思う。

また、管副総理がスパコンの研究費の削減に反対の意を示したことや、ノーベル賞の学者たちが未来につながる科学技術の予算を安易に削ることに反対したことの意味も大きいと思う。

予算を削るだけなどは誰でも行えることだ。これは無駄、あれは無駄ととにかく片っ端からあげることができる。でも未来を作る予算は減らすべきではない、むしろ増額する必要があると私は思う。

過剰な予算削減を防止するためにも、この事業仕分けというパフォーマンスが功を奏するならば、これを考え出した人は頭がいいな、と感じるものである。

「事業仕分け」で大騒ぎ

 行政刷新会議が行っている「事業仕分け」に日本列島が揺れている・・・と言っても過言でないほど鳩山政権の「事業仕分け」に注目が集まっている。連日のニュースは「事業仕分け」でもちきりだ。この動きに既得権益の方々は苦々しい思いのようで、「1時間程度の議論で結論を出すのは乱暴」とか「仕分けの基準が分からない」とか「大蔵省に操られているのではないか」などの批判が出ている。

 しかしそれらはいずれも「事業仕分け」を予算の決定機関と過大評価しているかのような批判である。私には谷川秀善自民党参議院幹事長の発言が最も的を得ていると思えた。「ただのパフォーマンスやけど、国民には新鮮に見えるやろうな。自民党は何でこれをやらなかったんだろう」と谷川氏は言った。その通りで「事業仕分け」は予算案を決める手前の「パフォーマンス」に過ぎないのである。

 従って結論を出す時間が短かろうが、仕分けの基準が分からなかろうが、それを過大に批判しても始まらない。ノーベル賞学者が「歴史の法廷に立つ覚悟があるか」と批判したそうだが、予算を決める作業はまだこれからである。「事業仕分け」の結論を「参考」に鳩山政権の閣僚によって予算案が決まり、それが来年の通常国会で与野党によって議論されて予算は正式に決定される。日本の予算が「歴史の法廷に立つ」のはその時である。

正式に予算を決める作業でもない「事業仕分け」が何故これほどに注目されるのか。それは予算を作成するプロセスの一部が初めて国民に公開されたからである。これまでは既得権益の方々と官僚と与党政治家とによって霞ヶ関の内側で作られてきた数字が表に出て来て、数字の根拠を巡るやりとりが生で公開されたから面白くなった。既存メディアも取り上げざるを得なくなり、追加取材までするようになって、国民はこれまで知らなかった建物や施設を見て税金の使い道を実感した。

 メディアは「事業仕分け」によっていくら予算が削られるかばかりを話題にしているが、これもピントが外れている。「事業仕分け」の結論は大事でも何でもなく、予算案を作るための「参考」に過ぎない。むしろ大事なのはこの「パフォーマンス」によって、「事業仕分け」の対象にならない分も含めた予算の削減が可能になる「効果」の方である。

 予算について最も良く知っているのは仕分け人でも政治家でもない。各官庁の官僚である。何が無駄かを知っているのも官僚である。しかし何もなければ官僚は無駄だと思っても予算を削る事が出来ない。正義感で削ったりしたら霞ヶ関で出世する道は永久に閉ざされる。

 予算を削るのは、削られる側からすれば糧道を断たれる話だから大変である。ある人々にとっては生活権を奪われる話になる。その人々は死にものぐるいで抵抗する。その抵抗に負けると予算は既得権益化する。いったん既得権益化すると切るのは容易でなくなり、そのうち政治家や業界とのしがらみも出てきて予算は固定化される。これが積もり積もると財政は破綻する。だから時々政権交代でしがらみを断ち切る必要があるのである。

 政権交代はしがらみを切る絶好のチャンスだが、日本では政権が代わっても官僚は古くからのしがらみに縛られている。アメリカのように政権交代によって官僚が数千人規模で入れ替わるなら容易にしがらみは切れる。しかし日本では法律を変えない限りそれが出来ない。そこで官僚にしがらみを断ち切らせるには第三者の力を利用するしかない。官僚の意思ではなく新たな仕組みが予算を切るとなれば官僚は誰からも恨まれない。それなら官僚も前から無駄だと思っていた予算を削る提案が出来る。

「事業仕分け」の現場を見れば仕分け人と官僚は敵対している。そして実際に敵対するケースは多いと思う。しかし実は敵対しているように見せながら、官僚がこれまで出来なかった無駄の削減を可能にする仕組みが「事業仕分け」だと私は思っている。その上で国民に予算の使い道に対する関心が高まれば、国民の声がしがらみを断ち切らせる力にもなる。「事業仕分け」という「パフォーマンス」の持つ意味はそこにある。

 今回の「事業仕分け」によって税金の使い道に対する国民の関心は高まった。それは良い事だが手放しで喜ぶ気にはなれない。本来は国会の予算委員会と決算委員会がその役目を果たすべきだと考えるからである。予算委員会できちんと予算の議論をしていれば、国民は税金がどのように無駄に使われそうになっているかを知る事が出来、決算委員会を見ればどれだけの無駄があったかを知る事が出来たはずである。

 ところが前にも書いたが、予算委員会の国会中継はスキャンダルの追及ばかりである。予算の議論などほとんど見たことがない。決算委員会と言えば直近の予算の使い道ではなく、2年前の税金の使い道を対象にしているから気の抜けたビールになる。そうした国会のあり方をこれまで誰も批判してこなかった。

 予算に対する関心を抱かせない国会は予算を作ってきた霞ヶ関の官僚にとって都合の良い存在だった。これまでは国民に注目されずに思い通りの予算を成立させてきたのである。その反動が「事業仕分け」に対する国民の高い注目となって現れた。この変化を国会議員は肝に銘ずるべきである。

 国民が予算の作成段階から注目した予算案に対し、通常国会で国民の期待を裏切らずに議論を展開しなければならない。特に攻める野党自民党の責任は大きい。「事業仕分け」で削減された予算を元に戻して「増やせ」と言うのか、それとも「無駄がまだある」と追及するのか、その攻め方で自民党は野党としての鼎の軽重が問われる。

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1 ■こんばんは。

この事業仕分け、所謂『7人の仕分け人』の方々が中心に仕切ってやってる訳ですが…何人でやっても同じ結果が出るかも知れませんが、素人なあたし的には厳しい人数の様に思えます。

あと…予算削減や見直しは前から求められていた事ですから、実行してもらわないと困る訳ですが…果たして所謂『聖域』は本当に不必要なのかと疑問に思っています。

2 ■Re:こんばんは。

>みちさん
7人では全ての仕分けはちょっと無理ですね。それも含めてあくまでパフォーマンスなのでしょう。

聖域は“思いやり予算”ですね。あれも対象にしてほしいです
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