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自由人スナフキンって


何となく思ったのは、スナフキンはムーミン谷があるから自由に生きていられるんじゃないかということ

もし、ムーミン谷がなかったら、スナフキンは冬の間訪れるようなところがなくて、糸が切れたたこのようになってしまうんじゃないだろうか

自由人でいられることの根底には、何時でも帰れるところがあるという安心感があるのではないだろうか。


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マインドコントロール

私は、人がより真実に生きるということは、マインドコントロールを一つ一つ解除していくことであると思います。

そのマインドコントロールというものを分けていくと、様々な層のようなものがあると便宜的に考えることができます。個人の層、家族の層、地域の層、国家の層、民族の層、世界の層、人類の層など、換言すると個人的なレベルでのマインドコントロールや、家族的なレベルのマインドコントロール、などというものです。

例えば個人の層でのマインドコントロールが強すぎる場合、自分と自分以外の人とのコミュニケーションが上手くいかなかったり、また家族的なマインドコントロールが強すぎると、家族と家族以外の人たちとの関係がよくなかったりするでしょう。

また、国家的・民族的なレベルのマインドコントロールもあり、これは国家や民族の価値観を受け入れている度合いが高ければ高いほど、その国家や民族内部での矛盾に目が行き届かなくなるのではないでしょうか。

私達は、生きていく中である一定の考え方などを身に付けることが必要になります。それは確かに必要なのですが、それが過剰すぎてそれ以外の見方はないと思い込むようになると大変です。

これは不思議なのですが、当人にはその人自身の考え方などの囚われは解らないのですが、別の人からだと解ったりします。周りから見れば、これを直せばいいのに、と思うのですが、もちろん当人にはそれ以外の考え方を受け入れるという発想がないのです。

そういうことを考えると、私自身の囚われって一体なんだろうかと考えたりするのですが、よく解らないw 簡単に解っちゃ、経験とならないんでしょうね。

そのマインドコントロールを離れていく、それが古来から言われている中庸ということに繋がるのではと思います。

中庸とは極端な考え方・捉え方を取らないということ。全体を常に俯瞰する視点を持つことです。

全てのマインドコントロールから抜け出すことは人間にとって不可能なことだともいえます。人間として生きている時点で人間というフォーマットで物事を考えるようになっているのですから。

個人的なマインドコントロール、社会的なマインドコントロールなどいろいろあります。

それから脱していくには、常に色んなことに疑問を持ち、おかしいことがあれば、常に調べること、感じることかと思います。このとき、考えてしまうと、マインドコントロールから抜け出せないです。それは、考えるということは、心が認める範囲、つまりマインドコントロールされた範囲内でしかできないからです。これを抜け出すことは考えることでは難しいでしょう。

ちょっと抽象的になりましたが、このようなことを思った次第です。


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"本当に解る"というのは、体験・経験することだけであること

人間の理解の仕方とは奇妙なもので、頭の中で考えたことを事実だと思い込んでしまうものです。


これは、今日の朝ご飯を食べたとか、そういう事実とは違うものですよ。その食べたという事実は人の経験・体験に根ざしたもので、考えたこととは異なるものです。


今の社会では頭の中で考えたもの、つまり○○論とかいうもの、が実在だと思い込んでしまって、それを現実に当てはめてしまっています。

そして、ある現実がその理論に当てはまらない場合、その現実を○○論に当てはまるようにしようとしてしまうか、または、その現実は○○論では解らないことだから現実ではないとか変なことを言ってしまっているのです。


でも違いますよね。

現実は○○論にあわせて出来ているわけではないです。

○○論とかいうのが絶対的に正しいとかいう思い込みがおかしいわけです。


○○論とかいうのは、現実そのものとは置き換わりません。


それは地球と地図の関係に置き換えると解りやすいと考えられます。

地球(現実)を元に地図(理論)を作り、その地図(理論)を活用することはできるけれども、その地図(理論)は地球そのもの(現実そのもの)ではないということと同じです。


先ほど、ある方のサイトで脳医学についてぼろくそに言ったのですが(w)、脳医学で解るなどと言っていることは、所詮○○論とかいうものでしかなくて、それはここでいう地図でしかないってことです。


多くの学者さん(特に理系)は、○○理論などというものを作ってそれが現実だと勘違いしてますからねぇ・・・。理論には常に限界があるということに気付いている人もいるにはいるけれど、かなり少ないかと。


それは経済学ということにも言えます。

経済学の理論などが正しいという思い込みで、現実の政策をそれにあわせて作り上げようとしました。でも、結局それは現実とは常にずれがあり、それは崩壊に繋がっていくわけで、それが今の状況ではないかと。。

現実は理論では解り得ないものだということが、いわゆる「社会的に頭のいい人達」には解らなかったんでしょうね。。。


なんか、話が脱線したかもしれませんが、そんなところです(^.^)

私達の価値観は変わっていく

私達は現在の自分達の価値観を正しいものだとして生きています。


今の地球では、環境破壊や飢餓などといった問題が起こっています。そのような問題はどんな原因で起こっているのでしょうか。例えば森林減少の原因は一般的に言われているのとは若干違い、牧畜業のための森林伐採が40%ほどをしめています。その牧畜業は肉牛生産のためです。また飢餓がおこる理由は世界の食料が足りないからというのが最大の原因で、肉食を人類が止めない限りは決してなくなりません。

それを解っていても、肉食を止めない・止めたくないという思考を生み出すのも、私達が現代の価値観というものに、依存しているからといえます。


私の予想では、あと20年もすれば肉食というのは、かなり非常識または特殊な食生活になるのではないかと思います。もともと、肉食を続ける場合は全人類の食料を満たすことが出来ないので、止めざるを得ないということになるのだと思います。


また、今まで正しいことだとされてきた資本主義、それが今崩壊に向かっているといえます。資本主義の上にたった、お金が全てといった価値観、地球を破壊してでも大量消費が良いという価値観、それらが根底から覆されることになります。


その価値観が壊れたあとに、新しい人間の営みそのものを軸にした価値観が生み出されていくのではないでしょうか。もちろん、その価値観でさえも更に200年、300年たつとまた別の価値観が出てくるのでしょう。その価値観に関してはその時にその時代の人が見つけることになるのでしょう。

密教の戒律の意味

私も、密教(というよりは仏教)に関しては時々本を読んで勉強しています。


その中で戒律とうものが仏教にはあるのですが、その戒律を守ることや破ることとは具体的に魂にとってどういうことであるかが、菅原氏のところで端的にまとめられています。


菅原氏のブログ:戒律について


倫理的に生きるということは、魂を曇らせないようにすることです。そういう清浄な雰囲気の中で生きることは霊的な目覚めに繋がります。


これは一般に道徳と言われていることと合致するし、その道徳観が大きく失われつつある現代において、それを支える一つの重要な視点となるのではないかと思うのです。

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